体が喜ぶ 整体研究道!

《始めに》
 整体の考え方も、整体の方法もたくさんあります。日本全国で多くの治療家がいつも新たな技術、より良い技術を探しているでしょう。また、多くの人が整体に期待を寄せている実情もあります。しかし、本当に治療技術として研究に取り組んでいる人は、どのくらいいるのでしょうか。

 

 技術研究で一番のネックになるのが、何をどのように研究を進めればよいのか分からないことでしょう。一般的には自分で研究をする人は少数派です。誰かの本を読んで技術情報を取り込んだり、どこかで講習会を受けたりするでしょう。しかし、どの技術が本当に優れているのか、どの理論がどれほど有効なのか知る術は、とても少ないのが現状でしょう。

 

 最近、気功が注目され始めたことも、このような事情と関連するのでしょう。

中には精神論に走り、座禅や滝に打たれるなど苦行に走る人もいるかもしれない。

既成の技術を、よりやりやすいように工夫する人もいる。

 他の療法を取り入れ名前だけを変えて、多少のやり方を変えただけで新技術としてデビューさせる人。言葉だけが技術革新している人もいるであろう。技術の向上を図らずに、既成の技術にあぐらをかく人。商売の技術革新だけを考えている人。しかし、誰もその考えや行動を批判することは許されません。誰にでも人それぞれ個人の事情もあるだろうし、生活もあるのだから。

 

 整体術も気功術もその奥行きの深さは語り尽くせないですね。多くの整体に携わる人がいろいろなことを考えているのでしょう。ですから、「効果がある」と噂が一旦あがると、その実態はともかくとしてたくさんの受講者が集まって来ます。

 しかし、私はそんな現状を尻目に、シモザワ整体の技術革新にもっぱら自分自身で開発する努力をしてきました。

 私も少し考え方が成長しました。確かに技術革新もとても大切なことですが、上手にPRしていくことも、実はとても大切なのかも知れないと考え始めたのです。

 ただただ整体の研究に勤しむだけでは、いくら技術レベルが向上しようと、画期的な理論であろうと、誰も知らなければそれは単なる自己満足ではないか?

 シモザワ整体療法研究室は開業当初から、自分の道場まで持って研究に勤しんできました。しかし、「PRは苦手」と公表を遠ざけてきたのかもしれません。普段の生活も、HPに関しても、生徒の技術向上や意識の向上だけに力を注ぎ、自分の本業の発展は超おろそかの状態でした。

しかし、ようやく道場の生徒の意識レベルの改善(気の質のグレード改善に必要な行動意識)も、動き始め本業に目を向ける気持ちが多少生まれ始めたのです。

 


《体が喜ぶ整体研究道!》
 私は、整体院の開業の半年後から気功の道場を持ちました。それは気功に関して自分でも納得出来るレベルまで来ていたからでした。もう一つの理由として、整体の技術だけでは、人の体の問題のすべてに対応出来ないであろうと深く認識していたからです。

 この世の中に、完璧なものも完全なものも存在しません、しかし、手技療法家のスタンスとしては、そんな「自分の甘え」を許してはいけないと道場を持ったのです。自分をより厳しい環境に置くことで、集中力も増しより感覚を鋭く磨けます。いくら優れた技術があっても、お客様の体にどう作用させて、今、どう変化しているのかをより細かく認識するには『感覚を磨く』ことが一つの重要なポイントになるのは明白です。

 

 実はもう一つの理由が一番大切でした。

 当時の持論で、健康を害する人の中には「健康な体を維持するだけの筋力がない人がいる」と考えたからでした。そんな考えの流れの中で、整体院の利用者や道場の生徒の筋力増強を目的とした「バドミントン部」も作り、市の小学校の体育館を借りてまでボランティア活動をしていました。

 気功の道場を主体とした活動も、既成の常識にあぐらをかくことなく、精力的に様々なチャレンジを試みるのが目的でした。これらの試みから生まれた多様な経験は、とても斬新に「体の秘密をひも解くこと」に繋がっていったのでした。

 仕事柄、私は、何をしていても整体的な発想や、気功の原理的な見方で過ごすことが多く、その考えは多くの体の理論の解明に繋がっていったのです。

 

 私はそれなりの運動経験がありました。登山、クライミング、スキー、バドミントン、山菜狩り?などとそれなりのスポーツもしてきました。しかし、如何せんとも強烈な運動音痴の私。何をやっても人一倍の苦労をする、いや人の3倍、4倍、それ以上であったかもしれません。今になって感じるのですが、人一倍の苦労には分析が欠かせない『発想の素』だったのです。

普通の人なら簡単に出来ることも、私の場合はいろいろな工夫と分析をしなければ追い付かないのですから、何をやっても年がら年中、分析をしているような状態でした。

 今の私を知る者は逆に「とても器用な人」と思うでしょう。この不器用さは、体だけではなく考え方も相当にシャイであった。おかげで、何をやっても「大ケガと故障」は付き物であった。この「大ケガと故障の日々」は、人の様々な痛みの感覚や、その変化の具合を感覚として身に付けていった。

このことが功を奏して、いろいろな角度からの考えや実践のための「運動力学」や「運動物理学的」な発想が生まれ、ずいぶんと若い時代から、人とは違う観点でものを見る訓練がされていたようです。

勿論「運動力学」や「運動物理学的」という学問が生まれる以前から、このような思考がありましたが、「私の人生の集大成として整体と気功の世界があった」と言えるように少しずつ近づいたと感じます。

 

 結果として、気功道場での出来事はすべて整体や気功の新たな発想を生み出すことに繋がっていたのです。その最大の趣旨は、《体が喜ぶ整体研究道!》に繋がっていきました。気功も整体も、目的は《体が喜ぶ正しい整体研究道!》です。でも、この考えは終わりが来るものではありません。この仕事と携わる限り続くのでしょう。

 

 

 

 

 【ご注意:当方は医療機関ではありません】

※ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関にご相談してください。